文学作品やトレンドを読み解き、時代のリアルに触れていく

長澤 唯史 教授

英語英米学科

2024年4月、英語を鍛えて、英語で鍛える「外国語学部英語英米学科」が新たに誕生します。英語英米学科でアメリカ文学を専門にポップカルチャーや英語文学を教え、学長補佐として椙山女学園大学のリブランディングにも取り組んできた長澤先生にインタビューしました。

文学作品の意義や今とのつながりを見つけ、「なぜ?」を議論する

私は学生時代からの趣味が高じて、アメリカ文学理論の研究をしています。例えばシェイクスピアがどんな時代を生きて、どの物事を捉えて、なぜその表現を書いたのか?という解釈をすると、文学としての素晴らしさだけでなく現代文化や価値観との違いが見えてきます。令和という時代を生きる私たちが、文学作品から見える今との違いや、それと結びついている事象に気づき、根底にある時代背景を考察することで、人生の経験値を得ることができるのです。

文学だけでなく、世界の映画や音楽などのポップカルチャーも同じです。ことばや表現を理論的・抽象的に分析してみると「流行っている」「好き」だけでは語れない別の視点が見えてきます。アメリカ映画では、子どもたちに人生の指標を示すのはだいたい父親の役割です。また、K-POPとJ-POPではメロディへの考え方もつくり方も全く異なります。これらの気づきに対して「なぜ違うのか?」を議論するために、さらに一歩踏み込んで社会的背景や歴史にまでアプローチしてみると、日本との文化や価値観の違いに行き着くことができるでしょう。学生の皆さんが新鮮な目線で作品を紐解いてくれることを期待しています。

変化し続ける社会を、瑞々しい感性で切り拓いて

本学に勤めて20年以上、学生たちがどんどん主体的になってきていると実感しています。彼女たちがこれからも自分らしさを貫くために、在学中に「私は一体どういう人間なのか」を見つめ直す機会をつくってほしいです。背伸びをすることは苦しく、いつか納得いかなくなるときがくるでしょう。だからといって「自分はこれしかできないんだ」と決めつけてしまうと、より辛く苦しい環境をつくり出してしまいます。

時代はどんどん移り変わり、大学生活の数年間でも好きなものや好きなものへのアプローチ方法は変わります。文学表現の裏側を深く学んでいるうちに、今度は「なぜ私は変わったのか?」と自身に問いかけられるようになります。思い込みやジェンダーバイアスなどがあれば、その違和感を言語化できるようになります。そして色々なことに挑戦し、広い視野で可能性を信じて自分の道を探し続けてほしいです。本学科での経験は、目に見えるものを打破して自分を解放するきっかけになるかもしれません。

また、人間は他者とともに生きるものだと考えています。文学や文化を学ぶことは、相手の立場や背景までを理解しようとする姿勢や想像力を養うことにもつながっていきます。

養われた想像力や共感力は、いずれ社会へとつながっていく

相互理解を考えたとき、生活の至るところにジェンダー問題が網を張っていることに気が付きます。そもそも「社会に出る」というと会社に勤めるイメージがありますが、本当にそれだけでしょうか?私は、社会とは形あるものではなく人間が支え合ったり理解し合う関係性のことで、常に変わっていくものだと思っています。これまで男性視点だけでつくってきた、いわゆる「社会」に女性が加わるのであれば、まずは前提を壊す必要がありそうです。

そしてそれは「家庭」に男性が加わることでも同じ。アメリカのメジャーリーグでは、選手は子どもが生まれるときにゲームを休みます。それが当たり前の権利として認められているからです。これからは日本でも、仕事と個々の生活や家庭などの居場所とが両立できる社会が求められていくことでしょう。

最近、講師として出向いた地域講座で高齢男性の方々がイキイキと交流されている姿を見て、彼らが「既存の男性らしさ」から開放されていると感じました。同時に、私自身もさまざまな場所や立場で社会とつながり続けたいと改めて思った出来事です。生き方や働き方を自由に選択できる時代に、男性と女性がフラットな状態で新しい社会をつくりあげていく。女性が意思決定の場に参加することで、男性にとっても居心地が良い場所ができあがると信じています。

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