モアナさんの家族が増えるとのこと、本当におめでとうございます!
今日は、ピクサーの新作『インサイド・ヘッド2』を観てきました!鑑賞中、こんなにも多くの感情を持ち、使い分けている人間は不思議でおもしろいなと感じました。また、前回の最後にお伝えしていた石垣島海洋研修では、とても有意義な学びが得られました。コバルトブルーの海の美しさに圧倒され、この場所を離れたくないと思うほどでした。研修を通して現地の方から島を囲む海洋ゴミの多さや生態系の変化について聞き、地球温暖化の深刻さとSDGsの重要性を深く学ぶことができました。
しろちゃんのノートを見て、「途上国」という言葉について自分でも考えてみたら、カンボジアを訪れた時に感じた違和感が蘇りました。それは、現地の人は「自分たちは可哀想でもなく、貧しくもない」と思って毎日を生きていることです。私が現地で見た学校で遊ぶ子どもの笑顔や、活気づいた市場で働く人々の光景、インターンシップ先で一緒に働いた女性たちの楽しそうな姿を思い出しました。今改めて考えてみると、先進国で生活する私たちが勝手に自分たちの国と比較して、途上国と決めつけているだけで、現地の人たちの多くは「自分たちは不幸」とは思っていないのだと、カンボジアを訪れた時に何となく感じていました。そしてもう一つ、当時は「困っている人を助けたい!」という意気込みでボランティアに参加しましたが、実際に助けてもらったのは世間知らずの私の方だったことを思い出しました。つまり、先進国か途上国かは関係なくみんなが発展途上にあり、枠にとらわれず協力し合うことで前進していけるのだという結論に至りました。どんな相手に対しても尊重する気持ちと、慎重に言葉を選ぶことが大切なのだと思います。
モアナさんからいただいた、①「自分がどのような事柄に興味があるか」②「特にどんな状況に置かれている人たちに対して心が動かされるのか」について考えてみます。
①私は三姉妹の真ん中で、姉も妹も昔からしっかり者だったので、私が1番家族に心配をかけることが多かったのですが、高校生の時にボランティア部に入部したのをきっかけに、誰かのために自分が頑張ることにやりがいを感じるようになりました。誰かの笑顔を引き出せるということに楽しさを感じるので、自分は人と関わり、相手を楽しませることに興味があるのだと思います。
②毎日生きることで精一杯な「絶対的貧困」に当てはまる人々への支援ではなく、無意識のうちに現状に満足している人々に対して、「能力を高め、選択肢を増やす」ということに関心を持っています。
卒業論文では、「開発途上国における女性のエンパワーメントを促進するノンフォーマル教育の役割」というテーマで書いています。エンパワーメントとは、外部から刺激することで個人や社会の能力を高めることを意味していて、その手段として、教育環境が整っていない開発途上国ではノンフォーマル教育が重要ではないかと考えているところです。
全体を通して「途上国」という概念に縛られず、相手を尊重し、楽しんでもらうことを大切にしたいのですが、対象者の選択肢を広げる具体的なアプローチ方法は、やはり教育的なものになってしまうでしょうか?学校の勉強のように堅苦しいものは好まないので、楽しく対象者の能力を高めるアプローチ方法を探すことを今後の課題としていきたいです。
これは実際にカンボジアで仕事をしている日本の方に聞いた話ですが、日々経済発展しているカンボジアでは、「わざと貧しいと言うことで、援助してもらえる」と考える人が一定数いて、そうした人に対して援助したい裕福な国の人が心を動かされて援助するそうです。この状況を私はネガティブに捉えています。
もしも、彼らが自分たちで生活をよりよくできる方法や選択肢を持っていれば、自分で自分の心を動かすことができるのではないかと思います。援助する側が情に訴えかけられて心を動かされてしまうことにも、実は危険な一面があると感じました。
お二人は、今までの人生の中で、選択肢が広がった出来事や瞬間はありますか?
例えば、それは自分からの一方的なアクションで広がったものなのか、誰かのアクションに便乗して偶然的に広がったものなのか。
人の興味と選択肢が、どのようなときに広がるのかについて知りたいと思いました。