Sugiyama 人間になろう 椙山女学園歴史文化館

【歴史の窓 3】 椙山女学園と前畑秀子

 

「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!・・・」
 前畑秀子氏が1936年(昭和11年)に開催されたベルリンオリンピックの女子200m平泳ぎで金メダルを獲得した時、実況中継でのNHKアナウンサーの声援です。
前畑秀子氏は1914年(大正3年)に現在の和歌山県橋本市に生まれ、近所の紀ノ川で水泳に親しみ、高等小学校2年生の時に汎太平洋女子オリンピック(1929年(昭和4年))の女子100m平泳ぎで優勝、同じく200mでは準優勝という成績を上げました。この活躍ぶりを聞いた椙山女学園創設者椙山正弌(以降「椙山正弌」)氏は、当時の椙山女学校への編入学を前畑秀子氏にすすめました。これをきっかけに椙山女学校に編入し、水泳を続けることになりました。
1928年(昭和3年)、現在の山添キャンパスの地に第二高等女学校の室内プールが完成しています。椙山正弌氏はこれに遡る1922年(大正10年)にアメリカへ教育視察に行ったことから、アメリカ
の進んだ社会情勢や教育を学び、帰国後は立て続けに校舎の整備と教育内容の充実に力を注いでいきます。
広大な山添キャンパスを取得し、アメリカのカレッジを思わせるような校舎を建設し、教育の一環としてスポーツ活動を積極的に奨励していきます。室内プールの完成もその一つであり、前畑秀子氏の編入学もこうした流れの中にあったといえます。
その後の前畑秀子氏は1932年(昭和7年)に開催されたロサンゼルスオリンピックの女子200m平泳ぎで銀メダルを獲得した後、椙山女子専門学校に進学し、冒頭に述べたベルリンオリンピックへの出場となりました。
1937年(昭和12年)に結婚し、兵藤姓となりますが、早くに夫に先立たれた後、椙山女学園の職員として勤務するかたわら、水泳では後進の育成につとめ、1995年(平成7年)に80歳で逝去しました。
 椙山歴史文化館には前畑秀子氏に関する数多くの資料が残されており、歴史展示室に展示されています。
 
 
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以上は「歴史文化館ニュース第5号」に掲載されたものです

歴史文化館ニュース第5号を転載します

 

歴史文化館ニュース 第5号を平成23年5月9日に発行しました。

 

主な項目は以下の通りです。

 ・椙山歴史文化館の役割 自校(史)教育と地域貢献

 ・「椙山女学園の教育をたどる ことば集-創立から現代まで」発刊

 ・歴史展示室トピックス、正弌記念室トピックス

 ・「デジタルアーカイブ研究会」の立ち上げ

 ・歴史の窓

 ・寄贈品紹介

 その他

  

以下をクリックするとPDFファイルとしてご覧いただけます。

歴史文化館ニュース第5号.

 

【正弌記念室トピックス 3】<『岐阜県小学校学事法令』>

【正弌記念室トピックス 3】<『岐阜県小学校学事法令』> 

 

「岐阜県小学校学事法令」とは明治35年に発行された正弌氏の最初の著書です。
正弌氏は明治28(1895)年に岐阜県師範学校乙種講習科を卒業し、2年後の明治30(1897)年、18歳の時に小学校教員検定試験に合格しました。その後、岐阜県内などの小学校において教鞭を取っていました。しかし、健康上の理由で退職し、岐阜県教育会主席書記として活躍していた最中に著したものです。
内容は岐阜県の小学校の法令をまとめたもので、「総規」・「職員名簿及待遇」・「教員加俸及恩給」・「学校衛生」・「教育費」・「岐阜県令達」の6編から構成され、前文には「勅語」や「教育に関する勅語謄本頒布ニ付文部大臣訓示」なども掲載されています。
 残念ながら現物は国立国会図書館にのみ収蔵されており、現在、近代デジタルライブラリーにて公開されています。

 

 

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【正弌記念室トピックス 2】 <2度の藍綬褒章と瑞宝章>

 【正弌記念室トピックス 2】 <2度の藍綬褒章と瑞宝章> 

 

褒章とは、明治14年(1881)制定された褒章条例によって公衆社会の利益、福祉や公共、文化の事業で事績著明な人物に天皇陛下から授与される日本の栄典のひとつで、貢献した分野によって紅綬、緑綬、黄綬、紫綬、藍綬、紺綬の6種類の褒章に分けられ、そのうち正弌氏が授与された藍綬褒章(らんじゅほうしょう)とは「教育、医療、社会福祉、産業振興等の分野で公衆の利益を興した者又は保護司、民生・児童委員、調停委員等の公同の事務に尽力した方者」(内閣府「勲章・褒章制度の概要」より)を讃えるものです。
 正弌氏は昭和15年(1940)と30年(1955)の2回にわたり受章し、これは全国でも異例な出来事であり、大変な栄誉に浴されました。歴史文化館入り口にある正弌氏の胸像は二度目の受賞の記念として建立されました。 

  

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   また、昭和39年(1964)の正弌氏逝去の折には叙位叙勲「従五位勲三等瑞宝章」が授与され、学園葬において霊前に供えられました。その賞状は正弌記念室に並べられています。

  

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【歴史展示室トピックス 5】 <学園章と校章>

 

   椙山女学園の学園章は大正10年に学生による100点以上の応募デザイン作品の中から投票によって選ばれました。三角形と中央の縦線で杉(椙)の木を、その三角形の各頂点は知・徳・体を現し、周りの円と中央の縦線によって山の字を現します。円の上部が少し空いており、これは杉(椙)の木が成長するように、わたしたちの人間性も無限に向上発達することのへの願いが込められています。丸と三角と直線というシンプルな図形ですが、強いメッセージ性のある学園章となっており、学園旗をはじめ校舎や発行物、学園章をモチーフにしたグッズまで学園の至るところで目にします。
 

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椙山歴史文化館の入口には学園章と一緒に各学校の校章(校章バッチ)も展示してあります。
 

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  上段中央から右回りに幼稚園校章、大学校章、高等学校章、中学校章、小学校章。ちなみに高等学校章のSUは( Upper Secondary School )、中学校章のSLは( Lower Secondary School )の頭文字を表しています。

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