Sugiyama 人間になろう 椙山女学園歴史文化館

最新の歴史展示室

企画展「生活環境デザイン学科2011年度卒業作品展」を開催しました

 今回の企画展は生活環境デザイン学科での4年間の集大成となる卒業研究の中で、アパレルメディア分野、インテリアプロダクト分野、建築住居分野それぞれの分野で2011年度に優秀賞に選ばれた研究作品を展示しております。

【開催期間】 2012年7月16日〜2012年9月16日

【開催場所】  名古屋市千種区星が丘17-3

       椙山女学園大学星が丘キャンパス 大学図書館4F

       椙山歴史文化館 文化展示室

【開館時間】  水・金曜日10:00~16:00  

【お問合せ】  椙山歴史文化館   TEL(052)781-4590(直通)

        椙山女学園総務課 TEL(052)781-1186(代表)

【歴史展示室トピックス 7】<木彫りの少女像>

 

 こちらはふじみ会より寄贈された木彫りの少女像です。

 
椙山女学園大学は家政学部から始まりました。「椙山女子専門学校」が大学に昇格したのは昭和24年。山添キャンパスでスタートした家政学部は昭和37年星が丘に移転し、同年、「第14回日本家政学会総会」が開催され、以後全国の家政学の中核大学として発展することになりました。特に東海地方での家庭科教員や栄養士になった卒業生の数は他の大学を圧倒しています。
このように椙山女学園大学の基礎を作った家政学部の同窓会(ふじみ会)から当館に、陳列ケース及び「ふじみ会」の資料、そして椙山の制服であった袴姿の木彫りの少女像(日展作家・山下清作)が寄贈されました。少女が抱えている「富士見」の文字は、創設者椙山正弌氏の直筆を元に彫られたものです。
 
 
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以上は「歴史文化館ニュース第3号」に掲載されたものです。

【歴史展示室トピックス 6 】 <ジャンパースカート>

 

1926年(大正15年)、椙山女学園に初めて洋装の制服が制定されました。これは前年の学園創立20周年記念展覧会を開催した際、全国の高等女学校の校服出品およそ80点の中から生徒による投票で最多票を獲得した女子学習院の校服を原案として作られました。ジャンパースカートを基とし、夏は綿ポプリンの七部袖のセーラーカラーのブラウスで、冬は紺サージのジャケットと黒い帽子を着用しました。また長い髪を2つに分けて三つ編みをする、いわゆるおさげ髪が流行したのもこの頃です。(同時期に大正ロマン画家で知られる竹久夢二の「秋の雲」にもおさげ髪をした少女が描かれています。)
 
 
 
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  以上は「歴史文化館ニュース第3号」に掲載されたものです。

【歴史展示室トピックス 5】 <学園章と校章>

 

   椙山女学園の学園章は大正10年に学生による100点以上の応募デザイン作品の中から投票によって選ばれました。三角形と中央の縦線で杉(椙)の木を、その三角形の各頂点は知・徳・体を現し、周りの円と中央の縦線によって山の字を現します。円の上部が少し空いており、これは杉(椙)の木が成長するように、わたしたちの人間性も無限に向上発達することのへの願いが込められています。丸と三角と直線というシンプルな図形ですが、強いメッセージ性のある学園章となっており、学園旗をはじめ校舎や発行物、学園章をモチーフにしたグッズまで学園の至るところで目にします。
 

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椙山歴史文化館の入口には学園章と一緒に各学校の校章(校章バッチ)も展示してあります。
 

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  上段中央から右回りに幼稚園校章、大学校章、高等学校章、中学校章、小学校章。ちなみに高等学校章のSUは( Upper Secondary School )、中学校章のSLは( Lower Secondary School )の頭文字を表しています。

【歴史展示室トピックス 4】 <「糸菊」とその歴史>

 

【歴史展示室トピックス 4】 「糸菊」とその歴史

 

「糸菊」は学園が発行する各学校・付属機関・同窓会の1年の活動内容が詳細に掲載された年刊誌として馴染み深いものとなっていますが、「糸菊」が発行される前にはその前身にあたる「糸櫻」という刊行誌がありました。
 「糸櫻」は明治39年に創刊され、和風会(今でいう生徒会や同窓会の母体)が発行していた月刊誌で、名古屋裁縫女学校内の<しだれ桜>と裁縫で欠かせない<糸>にちなんで命名されました。当時の内容は創設者・正弌氏をはじめ教諭による論文や生徒達の作文や俳句が掲載され、文芸色の強いものでした。大正2年に大正天皇と皇太后が名古屋にご宿泊された際、本学の生徒が手芸の糸菊の造花を献上した事をきっかけに「糸菊」と改名しました。
「糸菊」は昭和19年から昭和23年の4年間は戦争のため休刊していますが、昭和24年の大学開学を機に復刊し、大学開学の特集が大々的に組まれました。後の昭和51年(1976年)の「糸菊(創立70周年記念)」で、「糸菊詩に思う」の中で須田昌平教諭がこの復刊第一号について「表紙は栄養失調のような蝶々が3匹で、中身も28ページしかなく、わら半紙のような紙質であり、お粗末この上ない姿の糸菊である。しかし、考えてみるとこれは無残に踏みにじられた若草が地下に細々と命をつなぎ、世の光に再び新芽を吹き出したように感じられる」と困難を伴って復刊した当時の学園の苦労を振り返っています。
現在、椙山歴史文化館では「糸櫻」創刊号から「糸菊」2010年版までの全105冊が整然と並んでおり、表紙絵は生徒の作品によるものが多く、表紙からも時代の移り変わりを見て取れます。「糸菊(糸櫻)」は創設以来、椙山女学園の歴史を物語る存在であり、椙山女学園に関わるすべての人々と共に現在もその歴史を刻み続けています。
 
 
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