Sugiyama 人間になろう 椙山女学園歴史文化館

【歴史展示室トピックス 4】 <「糸菊」とその歴史>

 

【歴史展示室トピックス 4】 「糸菊」とその歴史

 

「糸菊」は学園が発行する各学校・付属機関・同窓会の1年の活動内容が詳細に掲載された年刊誌として馴染み深いものとなっていますが、「糸菊」が発行される前にはその前身にあたる「糸櫻」という刊行誌がありました。
 「糸櫻」は明治39年に創刊され、和風会(今でいう生徒会や同窓会の母体)が発行していた月刊誌で、名古屋裁縫女学校内の<しだれ桜>と裁縫で欠かせない<糸>にちなんで命名されました。当時の内容は創設者・正弌氏をはじめ教諭による論文や生徒達の作文や俳句が掲載され、文芸色の強いものでした。大正2年に大正天皇と皇太后が名古屋にご宿泊された際、本学の生徒が手芸の糸菊の造花を献上した事をきっかけに「糸菊」と改名しました。
「糸菊」は昭和19年から昭和23年の4年間は戦争のため休刊していますが、昭和24年の大学開学を機に復刊し、大学開学の特集が大々的に組まれました。後の昭和51年(1976年)の「糸菊(創立70周年記念)」で、「糸菊詩に思う」の中で須田昌平教諭がこの復刊第一号について「表紙は栄養失調のような蝶々が3匹で、中身も28ページしかなく、わら半紙のような紙質であり、お粗末この上ない姿の糸菊である。しかし、考えてみるとこれは無残に踏みにじられた若草が地下に細々と命をつなぎ、世の光に再び新芽を吹き出したように感じられる」と困難を伴って復刊した当時の学園の苦労を振り返っています。
現在、椙山歴史文化館では「糸櫻」創刊号から「糸菊」2010年版までの全105冊が整然と並んでおり、表紙絵は生徒の作品によるものが多く、表紙からも時代の移り変わりを見て取れます。「糸菊(糸櫻)」は創設以来、椙山女学園の歴史を物語る存在であり、椙山女学園に関わるすべての人々と共に現在もその歴史を刻み続けています。
 
 
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