Sugiyama 人間になろう 椙山女学園歴史文化館

【歴史の窓 2 】 小倉遊亀と椙山女学園

 

 

 小倉遊亀(旧姓溝上)は、上村松園とともに日本を代表する女流画家のひとりであり、明治28(1895)年3月1日、滋賀県大津市に生ました。大正6(1917)年、奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)に入学し、ここで図画の教師であった横山常五郎に絵の指導を受けています。
遊亀は、大正8(1919)年5月から翌年3月まで、当時の椙山高等女学校に国語の教諭として着任しました。事実、在任中の大正9年版の卒業アルバムの教員写真(右写真)にその姿をとどめています。1年足らずの短い間ではあったが、授業だけではなく「校友会」の役員として雑誌部の部長を務め、『糸菊』大正八年号の編集および発行の代表者として奥付に名前を残しています。
その後、大正9(1920)年には、横浜の捜真女学校の教師となり、安田靫彦に師事しました。そして、大正15(1926)年には「胡瓜」が第13回院展に初入選しました。
戦後の小倉遊亀は、院展に優れた作品を次々に出品し、数々の受賞に輝いています。昭和55(1980)年には文化勲章を受章しました。女流画家としては昭和23(1948)年の上村松園以来のことでした。
平成12(2000)年7月23日、105歳の長寿を全うして逝去しました。
 
 

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