Sugiyama 椙山女学園

椙山女学園 椙山歴史文化館

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明治時代からの史資料を通じて、椙山女学園の歴史的な位置づけや教育理念、学園の基礎を築いてきた生徒・教職員の活動を紹介しています。

歴史展示室
展示資料紹介

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学園章

【学園章】

三角形は椙(杉)の樹を表し、各頂点は知・徳・体を表しています。周りの円は山を現し、上部が少し空いているのは椙の木が成長していくように、わたしたちの人間性も無限に向上発達していけるようにとの願いが込められています。

椙という字

【椙という字】

「椙」の字は中国から伝来した漢字ではなく、日本で作られた国字です。最近では中国でも日本の国字を漢字として認める動きがあり、「椙」もその中に入っています。

金剛鐘

【金剛鐘】

鐘の導入は大正10年の正弌のアメリカ視察でカリフォルニア大学のカリヨンを見た際、鐘の音に合わせて学生たちが祈りを捧げる姿に強い感銘を受けたのがきっかけでした。帰国後、手配から10年の歳月をかけて製造国のイギリスより10個の鐘が到着し、以後現在に至るまで毎朝生徒によって奏鳴されています。
♪鐘の音を聞く(学内サイトですが、歴史文化館サイト外にあります)

人間橋由来記

【人間橋由来記】

昭和37年星が丘キャンパスの完成に合わせ、2つの丘を結ぶ橋が架けられ「人間橋」と命名されました。
「予はもとより不才不敏言うに足らないものではあるが、ただどうかして一人前の人間となるべく日夜努力だけは怠らなかったつもりである。古人の歌に人となれ人人となせ人という言うのがある。人間完成、これこそ学園創設の精神であり、学校教育終局の目標である。諸君よ、人間になろう」
この「人間になろう」は以後、学園の教育理念として日々の教育に活かされています。

糸菊

【糸菊】

糸菊の前身「糸櫻」は明治39年に創刊された機関紙で、学園内のしだれ桜と裁縫で欠かせない糸にちなんで命名されました。その後、大正天皇と皇太后が名古屋に宿泊された際、生徒が手芸によって作成した糸菊の造花を献上した事をきっかけに「糸菊」と改名しました。現在では各学校、付属機関の活動記録などを記載する学園総合年誌となり、既刊号全てが歴史文化館に収蔵されています。

制服

【制服】

制服制定当時の袴は校章が制定されていなかったため、裾の波形テープによって椙山の生徒とみなされていました。 大正15年から制服が制定され、ジャンパースカートは形を変えながらも制定当初から現在まで受け継がれています。

雛型

【雛形】

雛形は被服の作成実習において見積もり方や裁ち方、縫い方を理解させるために実物の1/3にして作成したものです。寸法を小さくすることにより、作成は一層難しくなり、裁縫技術の向上に役立っていました。現在では被服史的にも貴重な資料になり、本学園には約500点の作品が残っています。
雛形を見る(学内サイトですが、歴史文化館サイト外にあります)

教材

【教材】

当時の教科書として、正弌・今子による最初の共著『衣服裁縫図解』(正弌閲、今子編)が使われていました。また、学生たちが制作した作品を、被服実習標本として昭和末期まで使っていました。設立時の名称「名古屋裁縫女学校」が示すように本学園は家政学が出発点であり、人材の育成に力を注ぎ、多くの教員等を輩出しています。

オリンピック

【オリンピック】

幼い頃から水泳に親しみ国内外で活躍していた前畑秀子は、18歳の時、ロサンゼルスオリンピックで、女子200メートル平泳ぎにおいて銀メダルを獲得しました。またベルリンオリンピックにおいては同種目で優勝、金メダルを獲得し、ラジオ実況のアナウンサーによる「前畑ガンバレ」の放送は今でも語り草となっています。歴史文化館には優勝の表彰状(複製)も収蔵されています。当時、第二高等女学校に設置された屋内プールでの練習成果でもありました。

戦争

【戦争】

「学徒戦時動員体制」のもと、生徒が勤労奉仕として陸軍基地や熱田神宮の清掃奉仕・勤労作業に当たり、学校そのものも軍需工場へと姿を変えました。また、愛知航空機工場を襲った空襲によって教員生徒18名が命を失いました。名古屋空襲では富士塚町西校舎が全焼し、幼稚園も休園しました。

【明治38年という年】

【明治38年という年】

椙山女学園が設立した明治38年は、明治28年の日清戦争を経て日露戦争に突入した年になります。この銃は明治38年に製造されたので「さんぱち」という名がつきました。日露戦争の最中に製造された三八銃は、その後第二次世界大戦が終わるまで、日本軍の主力兵器の一つとして、使われました。人間性を最も重視する本学園にとって、その創立の年に人間性を否定する銃が作られたことは、皮肉な歴史の巡り合わせです。館内には「38年ボックス」があり、明治38年にちなんだ品々が展示されています。

正弌自筆の挨拶原稿・日誌

【正弌自筆の挨拶原稿・日誌】

各学校の式典等の正弌自筆の挨拶原稿が多数残っています。また昭和20年から38年までの自身の手書き日誌も残っています。

学園創立100周年

【学園創立100周年】

平成17年には学園創立100周年を迎えました。記念式典をはじめ椙山人間交流会館の設立、第九演奏会など数々の記念行事が大々的に執り行われました。100周年を記念して「椙山女学園百年史」やDVD、冊子などが発行されました。

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